くも膜下出血 回顧その12017-10-03 15:09


H医科大学病院4

この病院で気が付いたのは、7月20日前後だったと思う

身体は6月29日から、ベットに横たわっていた


自由が利かず、手が思い通りにいごかない

何かで縛られている

「煙草」が吸いたい 

H医科大学病院2

吸って落ち着きたいと思うが到底出来そうにない


夜になると、寝苦しくトイレに行くにもナースコール

愛想が悪く、いやいや応えられると、余計に腹立たしくなる


気が付けば、深夜にナースコールを押し、何かで縛られた手を

『自由にしてくれ!』と言うと車椅子に乗せられたまま、

廊下に置き去りにされたことを思い出す

「くも膜下出血」と言えば発症した人の1/3は亡くなり、

残った患者の1/3は何らかの後遺症が残る病気だそうです

くも膜下出血1

兄が「もう一寸のことで、今年は初盆になるところやった」

と話してくれたことも満更でもない

大きな後遺症も無く   ありがたい

くも膜下出血 回顧その22017-10-03 16:15

6月29日
 居間のテーブルでコンピュータを触り、眠りについたと思う

 「ドタン」という大きな音で、隣部屋にいた「家内」と別の隣部屋にいた「息子」は異変に気付き、救急車を呼んだが、「キャスター」では運べず、「上布団」に包み、救急車まで運んだと聞く、大変な様子が目に浮かぶ
数分で「H医科大学病院」に運び込まれ、「コイル塞栓」で再出血を予防し、左首下に溜まった血を「脊髄」にチューブを入れ、抜いたと聞く

 「すべて上手くいきました! 後は何かの力に…」
               と執刀医が言ったらしい

よほど、難しかった手術だったのだろう

「くも膜下出血」は「30%以上の方」は亡くなり、
「残りの30%の方」は後遺症に苦しむと聞く
「妻」、「息子」、「先生方」、「親戚の方々」そして
「私を取り巻く方々」本当にありがとうございました

私は執刀後、約20日間、意識は無かったと聞きました
気付いた時には口に「細いパイプ」が通され、
そして手は「結束バンド」、不自由だったことを覚えています

痛くても「身体」は少しは動かせたので、
贅沢な話ですが、
主治医を見つ家けては「先生! じっとするのが苦痛です リハビリお願いします」と言ってたことを覚えています
H医科大学病院7

初めは、先生に付き添われ、「歩行機」を使っての練習でしたが次の日になると「歩行機」なしで歩行訓練をしていました

「はい、頭は紐で釣り上げられた感覚で起こし、前を向いて、そう、その調子」と煽てられ、歩行訓練を繰り返し、
その次は「階段」の「登り」、「降り」です
「手摺」は握っても良いと言われても、「大変」でした
特に「下り」は「怖かった」    
NKリハビリテーション病院1
そんなある日、先生から「NKリハビリテーション病院」への「転医」とその「日付」を聴いた時は嬉しかった
NKリハビリテーション病院2
なかでも、転院の前日、理学療法士からいきなり、
         野外の歩行に同行してくれた時は嬉しくて…

以前に戻れる「自身」と「欲」が湧き出したことを思い出します
ありがとうございました

くも膜下出血 回顧その32017-10-04 17:37

7月26日10時までに入院手続きを済ませるのが
転医先「NKリハビリテーション病院」との約束だった

NKリハビリテーション病院6

車を病院に横付け、約束通り手続きを済ませた
入院するとすぐさま、主治医K女医の診断
診断らしい診断はこの時だけだったような気がする
翌日から、「NKリハビリテーション病院」のリハビリが始まった


「ふらつきなく、歩く!」これが、私の課題だ

両足共に片足立ちで「10秒以上」、
と言っても、「10秒」はなかなかできない
「片足立ち」はバランスが崩れる
無意識に両手でバランスを取り、「片足立ち」をしても
療法士は「片足立ち」と換算してくれない

私の大きな原因は
  1.腹筋がなく
  2.そして、お尻と両足のふくらはぎにも指周りにも筋肉がない
  3.お腹を突き出し、背中で歩く、「社長歩き」の姿勢

原因がわかり、「矯正」をしようとするが、なかなかできない
我慢できず、場所を見つけ、「自主リハビリ」を続けた

そのうち、「介護人なしの行動範囲」が増え、「自主リハビリ」にも力が入っていった

NKリハビリテーション病院4

しかし、「片足立ち」はなかなか進まない

リハビリは毎日、「理学療法」、「作業療法」そして「言語療法」を担当療法士が
、1日 約3時間の訓練をしてくれる
そんななか
「今までなら、もっと上手く出来のに…」 と思う自分と、
「できない自分」 との 「葛藤」 が始まる

そして、その結果に対して、「言葉強く指摘する療法士達」の「助言」
「なんで…」 と思っては、「辛坊」、「辛坊」だった…

その結果、「腹筋」は付き、療法士より、楽に筋肉運動が出来るまでになった 
ありがとうございました
-付録- お陰様で、日に日に上手く、歩けるようになりましたよ!

くも膜下出血 回顧その42017-10-05 18:32

「NKリハビリテーション病院」でのリハビリは、日に日に楽になっていった
療法士達と「心安く」なってきたのも大きな理由だと思う

ただ、主治医K女医には驚いた
    1 .回診は来ない
    2 .自分の病状が「どうなっているのか」分からない
    3. 今のリハビリ治療は「何の為にしているのか」分からない
    4 .医師でないと相談できない問題もそのままになっている
    5 .いつも忙しく振舞い、相談はできない

など、などの理由で、「置き場の無い、孤独な」入院生活だった
そんな主治医だったが、一度だけ、ましな「診療」をしたことがある

それは「外出許可を渡すので、中身は自分で考えてください」と言う「診療」だった
主治医に提出した外出許可は「一人で阪神西宮駅で送迎車から下車し、
2時間後の送迎バスに乗り、独力で帰ってくる」という内容でした

2~3人の療法士や看護師には、伝えたのですが

一人でリハビリ

一人でリハビリ2

実は、手前の「阪急夙川駅で下車し、独力阪急北口、今津で電車を乗換、阪神西宮駅に戻り、帰りのバスまで、「軽食」を取ったり、「買い物」をするという内容」でした

数人の療法士と看護師から、「大丈夫、いいんじゃないの…」と言われた時は
嬉しくなり、「活気」が生まれてきたことを思い出します

このことがきっかけで、「自身」(一人でもできる)が溢れ、「退院」をしても怖くないと思えるようになり、10月2日の退院を迎えた気がします

主治医からの「最初で最後の貴重な1回の診療」でした

退院

入院生活 その12017-10-06 21:49


NKリハビリテーション病院7

毎朝7時30分頃になると館内に、「まもなく、○○ルームで朝の体操を行います 
「朝の体操」は「リハビリ」に大変、効果化があります ぜひ参加してください」と言うアナウンスが館内に響く、
そして「車いす」や「看護師」、そして「杖」を借りる方もいれば、「独力」で参加する方も
○○ルームに集まり始まります
そして、体操は「首」から「肩」、「手」、「脚」の順で進み、徐々に「体」をほぐしていきます

初めは恥ずかしさもあったのですが、次第に「体操のありがたさ」がわかり、
「ええやん!」の言葉に替わっていったように思います

そればかりか、昨日まで「車いす」で参加していた人が「歩行機」に替わり
知らぬ間に、自力で参加されています

知らぬうちに、与えられた「目標を果たせば」、必ず、「目標に近づく」と言う「強い心」を持ったような気がします

私はのリハビリは「言語」,「理学」そして「作業」の療法士と毎日、3時間のリハビリでした

H医科大学病院7

頭の中では、「もっと上手くできる」と思っても、思うようにはならない

「ふらつきなく、歩く!」これが、私の課題だ

両足共に片足立ちで「10秒以上」、10秒はなかなかできない
「片足立ち」はバランスが崩れる
無意識に両手でバランスを取り、「片足立ち」をしても
療法士は「片足立ち」と換算してくれない

私の大きな原因は
  1.腹筋がなく
  2.そして、お尻と両足のふくらはぎにも指周りにも筋肉がない
  3.お腹を突き出し、背中で歩く、「社長歩き」の姿勢

原因がわかり、矯正をしようとするが、なかなかできない
場所を見つけ、自主リハビリを続けた

そのうち、「介護人なしの行動範囲」が増え、自主リハビリにも力が入っていった